正男ちゃんの本箱

正男ちゃんと呼んでくれるのも今はもう父方の甥と姪のふたりだけ、で命名してみた。

銀の匙にネムノキ

   中勘助先生の「銀の匙」にネムノキが登場する場面がある。物語の主人公にとつて初めてのお友だち、お国さんと遊ぶシーン。「遊び場の隅には大きな合歓の木があつてうす紅いぼうぼうした花がさいたが、夕がた不思議なその葉が眠るころになるとすばらしい蛾がとんできて、褐色の厚ぼつたい翔をふるはせながら花から花へと気ちがひのやうにかけまはるのが気味がわるかつた。合歓の木は幹をさすればくすぐつたがるといつて、お國さんと手のひらの皮のむけるほどさすつたこともあつた。」(前編31)。

虚実を交えてるかも知れない全篇回想の物語だが、著者の記憶力には驚くばかりだ。私が小学生の頃知っていた木といえば桐、杉、桜、藤くらい。ネムノキを初めて見たのはいつ何処でだろう。

老いの繰り言

6月14日

 妻が緊急入院した。ろれつが回らないといのではないが明らかに普段のしゃべり方と違う。

で、市内の総合病院に次女の車で行ったところ、CT検査の結果脳の右の箇所に

梗塞が見られるとの所見。翌日MRIの検査をして入院と決まった。治療が始まる前に何枚の同意書にサインしたか。医療事故や訴訟に備えるためとも信じたくないが、辛い時間が始まった。

5月20日

 グラウンドゴルフを楽しんでいる。

 月曜日午前の町内の神社境内の特設コースと金曜日午後中学校テニスコートを借りてする週二回。前者は元々グラウンドゴルフなどはやる前からの神社の境内。ここに4ホールを作った。後者は4面ほどあるテニスコートの外周を利用したもの。生徒の授業中の時間に年寄りが使用する。部活で生徒らが使用するといえば孫優先のテニスコート

我ら退散だ。グラウンドゴルフはボール1個とクラブ1本があればいい極めて安上りの

遊びだ。

3月19日

昔から暑さ寒さも彼岸までという通り、3月も半ばに庭に生えた草も緑を

増している。去年秋に買っておいた種の出番だ。トサカケイトウとトロロ。

2月25日

 グラウンドゴルフのハーフタイム中に仲間が3回目のコロナワクチン接種の予約が中々取れないとこぼす。普段からインターネットには縁が無いらしい。

で三人の予約を取ってあげた。誰れもかかりつけ医を持ってるが今回は配分量の都合で希望に添えなかったのだろう。かかりつけ医というもの患者の片思いなのかも知れない。

2022年2月5日

 コロナの変異株の感染の猛威は一向に収まらない。医療従事者に次いで優先順位の高い高齢者の小生、3回目の接種は集団接種会場、モデルナ製ということで予約できた。「交互接種」に多少の不安もあるが早いに越したことはない。当日(2月5日)の会場内中の順路は良く考えられていて短時間で済ませられた。

 

2021年6月7日

   6月7日午前。 一回目のワクチン接種(フアイザー製)を妻共々無事に済ませた。誰もがそうであるように打つた左腕が腫れぼったくて痛むが、頭痛や発熱や吐き気などの症状は出なかつた。医者は念のために解熱剤を1錠処方してくれたのだつたが。二回目は3週後の28日。これも何事もなかった。

 

5/19

    コロナワクチンの接種騒ぎが連日騒がしい。医療従事者の次の順は有り難いことに我ら高齢者、まだまだ混乱してるようだ。ワクチンが外国製頼みで我が国の計画通りには入つて来ないのが原因らしい。老生宅では市から届いた接種券の番号と生年月日をインターネットで入力して何とか妻共々予約が出来た。第一回が6月7日、月末には第二回目も接種出来るのだろう。「老いては子に従え」のたとえどおり子供の言うままに従つたのである。後は静かにその日を待つだけ。

21/5/8

 85歳の誕生日を迎えた。父母も兄も知らない、中先生もご経験のない境界に入つたことになる。からだは幸い自由になので目出度い。自分へのご褒美の意味合いもあつて「沓脱ぎ石」を買つて4月30日に据え付けてもらつた。高さ22×横67×巾61cm、150kgの茶褐色の鞍馬石である。

07/19

  夫婦分のコロナ給付金はその一部を子や孫に上げた。その後そのお金がどうなつたかは知らない。残余金はまだ通帳に入つたままだ。で折角のことゆえ前々からほしかった庭石、木の形そのまま石になってしまった珪化木を買おうと思う。生きた証しとして。

06/21

 遠くに住んでる長女が長男と配偶者を連れ高速道を利用して県を跨いで来訪した。

近くに住む二女も長男と人数分の生寿司を持つて来た、生憎と配偶者は勤めだそうな。先日国から貰つたコロナ給付金の一部をおすそ分け。消費に回わせよと。今日は父の日、老生が最年長者・家長である。お酒に縁の遠い彼(彼女)らの中で一人微醺を楽しんだ。

05/28

 申請をしていたコロナ給付金が口座へ振り込まれていた。現役世代の皆さんには我ら高齢者の分も含めて、追々返すことになるのだろうが久々の自由に使えるお金だ。

05/14

   コロナウィルス騒ぎで急浮上した給付金の請求を郵便でした。オンライン申請でも出来るとあって、スマホにアプリを入れたり暗証番号のメモを用意したりしたが結局行き着けず、情報技術の粋を結集して出来たマイナンバーは使えなかった。で郵送、創設されて150年?歴史ある「郵便」にお願いした。

05/01

 今日は私の84歳の誕生日。昭和11年5月1日に6番目の末っ子として生まれた。だから新緑の5月は好きだ。この年になると誰もそうだろうが父母も、兄も姉も皆いない。幸いに新型コロナウイルスの感染を疑う13項目の症状も今のところ見られず、庭やクラシックカメラやコーヒー煎りやうどん打ちをして遊んでいる。どなた様にも感謝、感謝である。

 近くに住む孫(この4月に目出度く高校生になったのにコロナ騒ぎで入学式に行つたきり)から誕生を祝う手製のハガキが届いた。地元の郵便局の4.29 18-24の消印、誕生日に配達されるよう投函したのだろう。そんな配慮も出来るようになった。当人に会つたら絵のようにストライプの入つたシャツと黄色のパーカーを着ていた。茶髪に染めてあるが本人は公立高校の一年生、絵の中だけ操作したらしい。

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04/25

 定額の一律10万円のコロナ給付金が来月にも交付されるという。消費に回るのか貯蓄に回わすのか人それぞれのふところ事情や考えにもよるのだろうが、私はきれいに使つてしまおうと思つている。孫たちが長い時間、その後始末をしなければならないのだろうが。

04/24

 志村けんさんの突然の死に驚いたばかりだが、岡江久美子さんもコロナ感染で亡くなられた。テレビで華やかに活躍する人たちの死は新型コロナウィルスの怖さを身近に感じさせる。

04/14

 13日は時ならぬ強風が吹いた。最大瞬間風速は27.1㍍、4月としては観測史上最大となつたと新聞にあつた。庭に置いた植木鉢や自転車が倒れ郵便受けまでもが落ちた。それにしても庭のタチツボスミレ、随分長い時間風や雨に晒されたのだろうが、朝、何事も無かつたように花を咲かせていた。直した郵便受けに午後固定資産税の納付書が入つていた。

 

04/13

 不要不急の外出を自粛せよとの大号令が国中を席巻している。

人からうつらず・人にうつさせず、一市民としてお上の言うことは当然守ろうと思つている。が幸い杉花粉に鈍感に作られてる身ゆえ、北部の山に拡がる農大の演習林や南部の西から東に流れる一級河川の堤防は格好のジョギングコースだ。しかも今の時期、ミツバや菜の花のツボミが旬。ミツバチマーヤに負けじと摘む。これらの美味は今だけのものである。桜の花は来年も咲くというけれども密かに外出する。

04/08

 小学校時代の同級生からメールに連けい寺の写真が添付されて届いた。

奇しくも仏様の誕生を祝う花祭りだ。小学生の頃にこのお寺の本堂の前に据えられた小さな誕生仏に甘茶を注いだ記憶がある。甘茶を頂いて家に持ち帰つたがさほど美味ではなかつた。

04/07

 近くに住む娘の子の高校の入学式は予定通りに行われたようだ。午後当人から写メールがきた。「3組になつた」と。画像に昔ながらの詰め襟の制服(バッチをふたつ付けて)姿で写つていた。コロナ騒ぎで変則的な式だつたのだろうが、めげずに充実した高校生生活を送つてほしいと心から願う。

04/06

  遠くに住む娘が電話先で「うつると大変だから、ふらふら歩くんじやあないよ」とのたまう。「老いては子に従え」という諺もあるゆえ

反論もせずに、電話では相手も見えないので「承知」と言つている。

しかし、前段はそのとおりだが、後段の「ふらふら歩き」には多少異論が無くもない。そもそも「ふらふら歩く」というのは、歩く目的も行き先も無く、歩く時間や服装や履き物も常識の範囲を越えた状態で歩くことを言うのではないか。私の場合上述のいづれもが「有り」で

決してふらふら歩きしている訳ではない。電話の時間が晩酌を終えた頃、正論を言つてもクダを巻いてるとしか思われないので畏まつて聞いている。

娘だからの直言を感謝しながら。

2020/04/05

   新型コロナウィルスの感染の関連ニュースが連日大きく報道されている。高齢者はひたすら沈静してくれることを祈るばかりだ。感染しないよう、人に感染させないよう自らを律する他ない。三食を家で取り、外出しないことに徹しよう。とは言え出来るかどうか覚束ない。

 

 

庭と遊ぶ

  万葉植物

 万葉集は若い頃から親しんできた本の一 冊だ。読者ひとりひとりの知識でその世界を自在に逍遙できるのが楽しい。

で陋屋の小さな庭に万葉集に詠われた植物を少しずつ植えていこうと思う。

桜・松・杉・檜・小楢などの高木は近郊の山や公園に任せるとする。浜木綿や蓮や稲などの海辺や水生の植物も我が庭には不向きだ。葉や花が有毒とされるのも避けたい。希少植物なども専門の万葉植物園に譲ることにする。ここは年金生活者のささやかな小さな遊び場、砂場である。

植えた植物は「万葉集事典(中西進編、昭和60年、講談社文庫)」植物一覧によった。 

あさがほ(キキョウ)、あぢさゐ、うはぎ(ヨメナ) 、うめ、かへるで、(カエデ)、かほばな(ヒルガオ)、からあゐ(ケイトウ)、くず、くは、さきくさ(ミツマタ)、すすき、すみれ、たけ、たで(イヌタデ)、つきくさ(ツユクサ)、つつじ、つばき、ところづら(ヤロウ)、なでしこ、はぎ、はじ(ハゼ)、ひる(ノビル)、みら(ニラ)、ももよぐさ(ロジキク)、よもぎ、ねぶ(ネムノキ)、もも、やまたちばな(ヤブコウジ)、やまぶき、をみなへし。

 これからもアワ、カラタチ、ヒエ、フジ、ベニバナ、ムギ、ユリ、ワスレグサ、ワタなども植えて楽しみたい。 

 

 植物は食用・薬用に衣料・工芸・建築材にそして身近な愛らしいモノとして万葉びとに愛せられた。

ネムノキは涼しい葉と人の手が触れれば萎えてしまう繊細なこころを持った木だ。

20年6~7月、唐沢山に自生してたのや九州から苗を購入したのを移植した。幸いどれも活着して葉は、日の出前・日中・日没後の変化を見せてくれる。中勘助先生の銀の匙に登場するのも嬉しい。ノジギクは手水鉢の側に植えよう。

  

 

第5章

5月23日 

 今年も黒竹が3本出現した。その場所が陋屋の住人の気持ちを忖度してか塀際に揃って生えた。人の出入りやグラウンドゴルフの練習に邪魔になるところではない。伸びるだけ伸ばしてやろうと思う、とはいえ台風時の大風で折れてしまうかも知れない。何しろ足元を固めないで闇雲に上へ上へと伸びているのだから。五月の空にゆらゆら騒いでいる新竹に幸あれ。

 

5月1日

 85歳になつちまつたとしか言いようのない日を迎える。父母も兄も経験しない境界に入つたことになる。どなたのお陰か知らないが幸い元気だ。コロナ禍のさなかを子供らが子どもを連れ飲食物持参で祝いに来てくれた。何か記念をと以前から欲しかつた「沓脱ぎ石」。年金生活者にとつては高額だし、有つても無くてもよいのだが、ご褒美の気持ちも有つて思い切つて買つた。横67×巾61×高さ22cm、重さ150kgの茶褐色した鞍馬石である。埼玉から軽トラで運ばれた石はベニヤ板と油圧式のジャッキとバールで巧みに動き、その場所に据えられた。玄関がすぐ側にあるからこの沓脱石を利用して出入りすることはまず無いが、据わるべきところにでんと座つて庭に締まりが生じた気がする。 

 

 

第4章

 珪化木が我が家の庭に届いたので、さざれ石の隣に据えた。長い時空を経て私の手元に来たと思えば愛しい。ひとの趣味は動物~植物~鉱物と変わるものだそうだが、私も植・鉱物のあたりを揺らいでいる。

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第3章

 万葉集東歌にも詠われたミカモ山は陋屋から東に見える形の良い山だ。その麓に自生する野蒜は早春のひととき、晩酌の友になつてくれる。ホッペタが落ちるほどの美味でもお腹いつぱい食するものでないが好物のひとつではある。その野蒜、今年庭に植えたらヒョロヒョロと延びて先端に花序を持つた。コロナ騒ぎで閉門蟄居の身、五月晴れの空に目映い巻雲と一枚に収まつた。

写真 10

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 5/20

黒竹の子が6本、今年も塀際に姿を現した。一昨年、鉢植えだった2本を地植えに戻してやつたら去年2本増え、今年も密かに期待していた。4本はほぼ等間隔に行儀良く塀際に、2本は玄関に通ずる道にはみ出して生えた。この2本は住人にも客人の通行にも支障をきたす。グラウンドゴルフの練習にも困る位置だ。等比級数的に増えるとなるとどうにかしなければならい。のこぎりの出番も必至だ。 

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5/18  朝起き抜けに庭の植栽を見ていたら、多分黒竹だろう。堅い庭の端に15×15cm位の土が盛り上がっていた、モグラの仕業ではない。夕方には地下基地から発射されるロケットの先端のように見えている。夜中に降った雨に助かられてか翌朝には10㎝ほどの若竹になって姿を現していた。

 

 

第1章

父母から生前贈与された土地に40年ほど前、新しく家(木造瓦葺き二階建て)を建てた。子供らの教育や仕事に精一杯だつた頃には見向きもしなかつた庭の草。今誰に頼まれたのでもないのに草をむしつている、曾て母がそうしたように。

 長子相続の時代に生きた父が定年まで働いて手にした庭、父母よりも長く生きて草むしりを黙ってしている、両親に感謝しながら。

 500万画素のデジカメ「Solaris」で逆光で撮した写真に斜めに虹色のフレアーが出て奥行きを隠してくれた。

写真 1 

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  庭を二分して「山」と「川」のイメージしてみた。下野国の某古墳の石室の石、50年ほど前に買つた茨城県真壁の織部灯籠、蹲いには妻の実家の石臼、踏み石に鞍馬石などを使つた。竹の筧からは水が落ちるようにした。

写真 2

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 庭石の配置、残念ながらその道の修行をしたことがない、重い石を自在に動かせる機材もない、あるのはシャベルとツルハシと高齢者には有り余る時間だけ。で北の天にひしやく形に連なる北斗七星に擬して配置してみようと思つた。α星に挽き臼、β星にさざれ石、古墳石室の石、鞍馬、阿波の青石など七つの石を並べて我が家の庭に七つ星が降り立つた。

 話は唐突に1光年ほど飛ぶが徒然草

「すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしき事なり。しのこしたるを、さて打ち置きたるは面白く生き延ぶるわざなり。」 第82段

とある人が言つたと吉田兼好師が書き残している。ある人の説は師も今日の読者にも納得できる話である。蓋し完璧を期するのはよろしくないということだろう。

 兼好師はまた記録している。伝不詳の陰陽師の言つた「この庭のいたづらにひろきこと、浅ましくあるべからざる事なり。道をしるものは植うることをつとむ。ほそ道ひとつ残して、皆畠につくり給へ」といさめたと紹介し、師は「誠に少しの地をもいたづらにおかんことは益なき事なり。くふ物・薬種などを植ゑおくべし」 第224段

誠にむべなるかなである。

  手水鉢も最近の家にはまず無い代物だが庭にさり気なく据えてみた。父がどこかで買つてきたものだ。私も妻も子供らも用をすませるとこの鉢に湛えられたわずかな水を使つた。古い手ぬぐいがぶら下がつていた。ついぞこの手水鉢の水や手ぬぐいを取り替えた記憶がないから母や妻の仕事だつた。

   父母へ

 あの貰つた土地へ二階建ての家を建てたよ

トイレも下と二階にあつて

今はウオシュレット。

お湯が出て洗浄してくれるんだ。

お盆に来たときにまあ使ってみて。

                合掌

写真 3

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   我が家は統計上「高齢者のみ世帯」である。

その庭に令和元年5月、新しい御代を寿ぐように黒竹が一本、あれよあれよという間もなく伸びた。鉢に長く押し込められていたのを地に植え替えてやつた恩義を忘れなかつたのだろう。 

写真 4

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  庭に立つ46、7年前の母子が写つた写真がある。キューピーを持つ長女も母に抱かれる二女も今はそれぞれ大学生や高校生の母親だ。父親たる私が後期高齢者なのもさもありなんである。飛び石は今回使わせてもらつた。門はその後我が家にマイカーが来るに及んで取り払われた。 

写真 5

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 小さなお地蔵さんが北向きに寄せ植え用のプランターを埋めた御厨子に鎮座している。瞑目された童顔、小さな御手を合わせておられる。信州には北向き観音もいらつしやるくらいだからお許し頂きたい。ここは私のグラウンドゴルフのプライベートコース、ご尊体にボールが当たらぬよう囲つてある。テニスコートのようにローラーで転圧してないからボールは不規則に転がる。

写真 6

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 敷松葉、霜から庭を守るため庭に敷く枯れ松葉をいう。

で我が家にも敷いてみた。今、赤松の枯葉を探すのは難しいご時世になつた。幸い近郷の山歩きをしている神社の駐車場に松が健在で何回か運んでは運んで敷いた。松の木が無いのにマツボックリが落ちている。

写真 7

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第2章(2020年)

 北斗七星のβ星に擬せられた石にさざれ石を据えた。国歌「君が代」にも詠われている石だ。ほぼ五角形で重さが99kg、高さ65cm、横幅56cm、奥行き27cmで岐阜県揖斐川町産、学名は「石灰質角礫岩」という。その名が示すようにひと塊の石ではない、礫と礫とのすきまには砂や砂泥がこびりついて細礫岩と中礫岩からなつている。地球上にまだ人間など現れなかつた頃からのとてつもなく長い時間と自然の偶然によって形成されたものである。

タチツボスミレと杉苔を移植してみたが今年の夏を生き残れるだろうか。

 漱石

  菫ほどな小さき人に生まれたし

という俳句がある。スミレの花ほどの登山家、森林限界を超えた果てに立つ孤峰には斜度の大きいガレ場と折り重なったように岩やオーバーハングした岩壁などが連なる。直登を避けて彼はルートをどう巻いてこの山塊のピークに立つのだろう。

  前後左右から見る石の姿形は異なる。大小の石で組成されているからだ。お日様の光り加減にもよるがイースター島のモアイの立像やゴリラに、恐れ多いが百済観音の横顔に見えたりする。コーヒーを飲みながら思いは自在に馳せめぐる。(3月20日)  

写真 8 

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  写真 9

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令和2年大相撲初場所に

 1月12日、次女夫婦と中三の息子、私たち老夫婦と5人、自動車や電車やタクシーを乗り継ぎ東京両国の国技館、大相撲初場所の初日を見に行つた。二階椅子席の向方。館内の取組表もよく見える位置だ。お相撲さんには誠に申し訳ないが浅草駅で買った深川弁当を肴に日本酒をやった。売店でガチャガチャをしたら「阿炎」入りのキーホルダーが出て来た。贔屓の炎鵬や朝之山の白星や遠藤の金星に大きく拍手と歓声を上げ、阿炎の黒星にため息。その後の遠藤や炎鵬が活躍している。この場所は幕尻(という業界用語も知らなかった)の西前頭17枚目の徳勝龍(33)が14勝1敗で優勝、誰も予想しない結果だった。

負け越して大関陥落の豪栄道が引退、元横綱希勢里も三人同じ年齢なのに。

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「入り待ち」

MINOX B(1970年代の西ドイツ製)

 曇り空の午後、両国国技館で撮った。二階椅子席に予約の観客にとつてこんな身近にお相撲さんを見られるのはこの機会だけ。付き人の後ろは炎鵬ではないか。

遠藤の和装は鴇色だった。 ファンの誰彼から大声でしこ名を呼ぶが振り向いてくれない。そういうルールなのだろう。

 8×11mmのフイルムを使う。昭和のレトロな色具合いが出ていたらいい。

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2020年雑感

 元日、唐沢山神社へ初詣に、麓の駐車場から歩くこと1時間。 例年頂く巫女さんの甘酒が温かく甘い。近くで「しあわせな気持ちになれるー」と言う女性の声、同感だ。鳥居を透かして日の丸と遠く関東平野が見える。この日は雪を頂く富士山も見られた。駐車場の隅に赤松が数本伸びている。ここは神域、マツクイムシも出没出来ないのか枯れた松葉が積もつていた。ストックで集めて持ち合わせのレジ袋に詰めて帰宅、霜よけの一助になろうと庭に敷いた。
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