正男ちゃんの本箱

正男ちゃんと呼んでくれるのも今はもう父方の甥と姪のふたりだけ、で命名してみた。

庭と遊ぶ

  万葉植物

 万葉集は若い頃から親しんできた本の一 冊だ。読者ひとりひとりの知識でその世界を自在に逍遙できるのが楽しい。

で陋屋の小さな庭に万葉集に詠われた植物を少しずつ植えていこうと思う。

桜・松・杉・檜・小楢などの高木は近郊の山や公園に任せるとする。浜木綿や蓮や稲などの海辺や水生の植物も我が庭には不向きだ。葉や花が有毒とされるのも避けたい。希少植物なども専門の万葉植物園に譲ることにする。ここは年金生活者のささやかな小さな遊び場、砂場である。

植えた植物は「万葉集事典(中西進編、昭和60年、講談社文庫)」植物一覧によった。 

あさがほ(キキョウ)、あぢさゐ、うはぎ(ヨメナ) 、うめ、かへるで、(カエデ)、かほばな(ヒルガオ)、からあゐ(ケイトウ)、くず、くは、さきくさ(ミツマタ)、すすき、すみれ、たけ、たで(イヌタデ)、つきくさ(ツユクサ)、つつじ、つばき、ところづら(ヤロウ)、なでしこ、はぎ、はじ(ハゼ)、ひる(ノビル)、みら(ニラ)、ももよぐさ(ロジキク)、よもぎ、ねぶ(ネムノキ)、もも、やまたちばな(ヤブコウジ)、やまぶき、をみなへし。

 これからもアワ、カラタチ、ヒエ、フジ、ベニバナ、ムギ、ユリ、ワスレグサ、ワタなども植えて楽しみたい。 

 

 植物は食用・薬用に衣料・工芸・建築材にそして身近な愛らしいモノとして万葉びとに愛せられた。

ネムノキは涼しい葉と人の手が触れれば萎えてしまう繊細なこころを持った木だ。

20年6~7月、唐沢山に自生してたのや九州から苗を購入したのを移植した。幸いどれも活着して葉は、日の出前・日中・日没後の変化を見せてくれる。中勘助先生の銀の匙に登場するのも嬉しい。ノジギクは手水鉢の側に植えよう。

  

 

第5章

5月23日 

 今年も黒竹が3本出現した。その場所が陋屋の住人の気持ちを忖度してか塀際に揃って生えた。人の出入りやグラウンドゴルフの練習に邪魔になるところではない。伸びるだけ伸ばしてやろうと思う、とはいえ台風時の大風で折れてしまうかも知れない。何しろ足元を固めないで闇雲に上へ上へと伸びているのだから。五月の空にゆらゆら騒いでいる新竹に幸あれ。

 

5月1日

 85歳になつちまつたとしか言いようのない日を迎える。父母も兄も経験しない境界に入つたことになる。どなたのお陰か知らないが幸い元気だ。コロナ禍のさなかを子供らが子どもを連れ飲食物持参で祝いに来てくれた。何か記念をと以前から欲しかつた「沓脱ぎ石」。年金生活者にとつては高額だし、有つても無くてもよいのだが、ご褒美の気持ちも有つて思い切つて買つた。横67×巾61×高さ22cm、重さ150kgの茶褐色した鞍馬石である。埼玉から軽トラで運ばれた石はベニヤ板と油圧式のジャッキとバールで巧みに動き、その場所に据えられた。玄関がすぐ側にあるからこの沓脱石を利用して出入りすることはまず無いが、据わるべきところにでんと座つて庭に締まりが生じた気がする。 

 

 

第4章

 珪化木が我が家の庭に届いたので、さざれ石の隣に据えた。長い時空を経て私の手元に来たと思えば愛しい。ひとの趣味は動物~植物~鉱物と変わるものだそうだが、私も植・鉱物のあたりを揺らいでいる。

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第3章

 万葉集東歌にも詠われたミカモ山は陋屋から東に見える形の良い山だ。その麓に自生する野蒜は早春のひととき、晩酌の友になつてくれる。ホッペタが落ちるほどの美味でもお腹いつぱい食するものでないが好物のひとつではある。その野蒜、今年庭に植えたらヒョロヒョロと延びて先端に花序を持つた。コロナ騒ぎで閉門蟄居の身、五月晴れの空に目映い巻雲と一枚に収まつた。

写真 10

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 5/20

黒竹の子が6本、今年も塀際に姿を現した。一昨年、鉢植えだった2本を地植えに戻してやつたら去年2本増え、今年も密かに期待していた。4本はほぼ等間隔に行儀良く塀際に、2本は玄関に通ずる道にはみ出して生えた。この2本は住人にも客人の通行にも支障をきたす。グラウンドゴルフの練習にも困る位置だ。等比級数的に増えるとなるとどうにかしなければならい。のこぎりの出番も必至だ。 

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5/18  朝起き抜けに庭の植栽を見ていたら、多分黒竹だろう。堅い庭の端に15×15cm位の土が盛り上がっていた、モグラの仕業ではない。夕方には地下基地から発射されるロケットの先端のように見えている。夜中に降った雨に助かられてか翌朝には10㎝ほどの若竹になって姿を現していた。

 

 

第1章

父母から生前贈与された土地に40年ほど前、新しく家(木造瓦葺き二階建て)を建てた。子供らの教育や仕事に精一杯だつた頃には見向きもしなかつた庭の草。今誰に頼まれたのでもないのに草をむしつている、曾て母がそうしたように。

 長子相続の時代に生きた父が定年まで働いて手にした庭、父母よりも長く生きて草むしりを黙ってしている、両親に感謝しながら。

 500万画素のデジカメ「Solaris」で逆光で撮した写真に斜めに虹色のフレアーが出て奥行きを隠してくれた。

写真 1 

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  庭を二分して「山」と「川」のイメージしてみた。下野国の某古墳の石室の石、50年ほど前に買つた茨城県真壁の織部灯籠、蹲いには妻の実家の石臼、踏み石に鞍馬石などを使つた。竹の筧からは水が落ちるようにした。

写真 2

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 庭石の配置、残念ながらその道の修行をしたことがない、重い石を自在に動かせる機材もない、あるのはシャベルとツルハシと高齢者には有り余る時間だけ。で北の天にひしやく形に連なる北斗七星に擬して配置してみようと思つた。α星に挽き臼、β星にさざれ石、古墳石室の石、鞍馬、阿波の青石など七つの石を並べて我が家の庭に七つ星が降り立つた。

 話は唐突に1光年ほど飛ぶが徒然草

「すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしき事なり。しのこしたるを、さて打ち置きたるは面白く生き延ぶるわざなり。」 第82段

とある人が言つたと吉田兼好師が書き残している。ある人の説は師も今日の読者にも納得できる話である。蓋し完璧を期するのはよろしくないということだろう。

 兼好師はまた記録している。伝不詳の陰陽師の言つた「この庭のいたづらにひろきこと、浅ましくあるべからざる事なり。道をしるものは植うることをつとむ。ほそ道ひとつ残して、皆畠につくり給へ」といさめたと紹介し、師は「誠に少しの地をもいたづらにおかんことは益なき事なり。くふ物・薬種などを植ゑおくべし」 第224段

誠にむべなるかなである。

  手水鉢も最近の家にはまず無い代物だが庭にさり気なく据えてみた。父がどこかで買つてきたものだ。私も妻も子供らも用をすませるとこの鉢に湛えられたわずかな水を使つた。古い手ぬぐいがぶら下がつていた。ついぞこの手水鉢の水や手ぬぐいを取り替えた記憶がないから母や妻の仕事だつた。

   父母へ

 あの貰つた土地へ二階建ての家を建てたよ

トイレも下と二階にあつて

今はウオシュレット。

お湯が出て洗浄してくれるんだ。

お盆に来たときにまあ使ってみて。

                合掌

写真 3

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   我が家は統計上「高齢者のみ世帯」である。

その庭に令和元年5月、新しい御代を寿ぐように黒竹が一本、あれよあれよという間もなく伸びた。鉢に長く押し込められていたのを地に植え替えてやつた恩義を忘れなかつたのだろう。 

写真 4

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  庭に立つ46、7年前の母子が写つた写真がある。キューピーを持つ長女も母に抱かれる二女も今はそれぞれ大学生や高校生の母親だ。父親たる私が後期高齢者なのもさもありなんである。飛び石は今回使わせてもらつた。門はその後我が家にマイカーが来るに及んで取り払われた。 

写真 5

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 小さなお地蔵さんが北向きに寄せ植え用のプランターを埋めた御厨子に鎮座している。瞑目された童顔、小さな御手を合わせておられる。信州には北向き観音もいらつしやるくらいだからお許し頂きたい。ここは私のグラウンドゴルフのプライベートコース、ご尊体にボールが当たらぬよう囲つてある。テニスコートのようにローラーで転圧してないからボールは不規則に転がる。

写真 6

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 敷松葉、霜から庭を守るため庭に敷く枯れ松葉をいう。

で我が家にも敷いてみた。今、赤松の枯葉を探すのは難しいご時世になつた。幸い近郷の山歩きをしている神社の駐車場に松が健在で何回か運んでは運んで敷いた。松の木が無いのにマツボックリが落ちている。

写真 7

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第2章(2020年)

 北斗七星のβ星に擬せられた石にさざれ石を据えた。国歌「君が代」にも詠われている石だ。ほぼ五角形で重さが99kg、高さ65cm、横幅56cm、奥行き27cmで岐阜県揖斐川町産、学名は「石灰質角礫岩」という。その名が示すようにひと塊の石ではない、礫と礫とのすきまには砂や砂泥がこびりついて細礫岩と中礫岩からなつている。地球上にまだ人間など現れなかつた頃からのとてつもなく長い時間と自然の偶然によって形成されたものである。

タチツボスミレと杉苔を移植してみたが今年の夏を生き残れるだろうか。

 漱石

  菫ほどな小さき人に生まれたし

という俳句がある。スミレの花ほどの登山家、森林限界を超えた果てに立つ孤峰には斜度の大きいガレ場と折り重なったように岩やオーバーハングした岩壁などが連なる。直登を避けて彼はルートをどう巻いてこの山塊のピークに立つのだろう。

  前後左右から見る石の姿形は異なる。大小の石で組成されているからだ。お日様の光り加減にもよるがイースター島のモアイの立像やゴリラに、恐れ多いが百済観音の横顔に見えたりする。コーヒーを飲みながら思いは自在に馳せめぐる。(3月20日)  

写真 8 

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  写真 9

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